息子は、娘の3歳下だ。
息子が生まれたときには、すでに娘がいた。
だから彼にとって、
障害のある姉がいることは、特別なことではなかったのだと思う。
それが、生まれたときからの「普通」だった。
姉と遊びたかった、小さな弟
息子がまだ小さい頃。
仲良く遊んでいる兄弟を見ると、
自分も娘と遊ぼうとすることがあった。
何度も声をかけたり、
一緒に何かをしようとしたりしていた。
でも、娘からは反応が返ってこない。
もちろん息子には、
なぜ返ってこないのかなんて分からない。
それでも何度か繰り返しているうちに、
いつしか、
娘と遊ぼうとする姿をあまり見なくなった。
当時の私は、
そのことを深く考えていなかった。
今になって思う。
息子なりに、
少しずつ姉との距離の取り方を覚えていったのかもしれない。

特別なことではなく、これが息子にとっての日常だった。
「いつもお姉ちゃんばっかり」
息子が小学校低学年の頃だった。
突然、
大泣きしたことがある。
「いつもお姉ちゃんばっかり」
そう言った。
その言葉は、今でも覚えている。
私は息子を抱きしめて、
謝った。
そして、
お姉ちゃんは、
いつも誰かがそばにいないと生きていけないんだ。
だからどうしても、
お姉ちゃんのことを先に考えなければならないことがある。
そんな話をした。
息子がどこまで理解したのかは分からない。
でも、
あの頃の私の頭の中には、
いつも娘の安全があった。
娘は大丈夫だろうか。
発作は起きないだろうか。
姿勢は苦しくないだろうか。
食事は大丈夫だろうか。
息子と話しているときでさえ、
頭のどこかでは娘のことを考えていた。
たぶん、
息子には全部見透かされていたのだと思う。
息子の運動会を、途中で抜けたこともあった
小学生の息子の運動会を見に行った日。
途中で、娘の学校から電話が入った。
私は運動会を抜けた。
もちろん、
そのときはそうするしかなかった。
娘に何かあれば、
そちらへ行く。
それが私たちの生活だった。
息子が塾へ行きたいと言ったときも、
送り迎えをすることができなかった。
だから、
「自分で行って、自分で帰ってこられるところならいいよ」
という条件をつけた。
今考えれば、
まだ小学生だった。
もっと親に甘えてもいい年齢だった。
でも私たちは、
息子に「自分でできること」を、
知らず知らずのうちに増やしていたのだと思う。
息子にも、息子の世界があった
もちろん、
息子の毎日が娘のことだけだったわけではない。
学校があり、
友達がいて、
スポーツがあった。
自分なりに頑張って、
賞状をもらって、
嬉しそうに笑っている。

娘の弟である前に、息子にも息子自身の毎日があった。
今写真を見返すと、
当たり前のことに気づく。
私たちにとっては、
娘を守ることに必死だった時間。
でも同じ時間を、
息子も子どもとして生きていた。
親に褒めてもらいたい日も、
話を聞いてもらいたい日も、
きっとたくさんあったはずだ。
小学4年生の息子が、娘を散歩に連れて行った
忘れられないことがある。
娘の介護に疲れ果て、
どうしても動けなかった日があった。
娘が泣いていた。
でも、
私も疲れ切っていて、
すぐに動くことができなかった。
そのとき、
まだ小学4年生だった息子が、
一人で娘を散歩に連れて行ってくれた。
今考えると、
小学4年生だ。
まだ自分が誰かに甘えていい年齢だった。
その子が、
姉を連れて外へ出てくれた。
当時もありがたいと思った。
でも、
今振り返ると、
あの行動の重さがもっと分かる。
息子は、
息子なりに家族を見ていたのだと思う。
「僕には守りたい人がいる」
中学生の頃、
息子が書いた作文がある。
そこには、
こんなことが書かれていた。
「僕には守りたい人がいる」
その人の病気を治すために、
勉強して医者になりたい。
その「守りたい人」は、
娘だった。
私は、
その作文を読んだときの気持ちを、
うまく説明できない。
「いつもお姉ちゃんばっかり」
と泣いた子が、
姉を「守りたい人」と書いていた。
でも、
今なら分かる。
寂しかったことと、
姉を大切に思っていたことは、
矛盾しない。
どちらも息子の本当の気持ちだったのだと思う。

もっと、こういう母と息子だけの時間をつくってあげればよかった。
大人になった息子が言った。「俺と一緒だ」
つい最近、
家で犬の話をしていた。
娘がグループホームから帰ってくると、
私たちはどうしても娘にかかりきりになる。
すると犬が、
娘に少しジェラシーを感じているように見える。
そんな話をしていたとき、
息子がポツリと言った。
「俺と一緒だ」
ほんの一言だった。
たぶん、
笑いながら話せるような場面だったと思う。
でも、
その言葉だけが妙に残った。
ああ。
やっぱり寂しかったんだな。
私たちが思っていた以上に。
もっと、息子だけを見る時間をつくればよかった
今振り返ると、
もっと小さい頃から、
娘を誰かにお願いする時間をつくってもよかったと思う。
そして、
妻と息子だけで出かけたり、
息子の話だけを聞いたり、
息子だけを見る時間をつくってあげればよかった。
当時は、
娘を人に預けること自体が簡単ではなかった。
私たち自身も、
娘から離れることに慣れていなかった。
だから、
そのときの自分たちなりに、
精一杯だったとも思う。
でも、
それと、
息子に寂しい思いをさせたことは、
別の話だ。
もっとできたことがあったのではないか。
親になると、
そんなことばかり後から思う。
息子には、
自分に自信がないところがある。
私はときどき、
それを見ると考えてしまう。
子どもの頃、
もっと無条件に、
「お前だけを見ているよ」
という時間が必要だったのではないか、と。
もちろん、
それが本当に関係しているのかは分からない。
そんな単純なものではないだろう。
でも、
親だから考えてしまう。
それでも、息子は自分の人生を歩いている
そんな息子も、
今は大人になった。
社会人として、
自分の人生を歩いている。
すれることなく、
いい青年に育ってくれたと思う。
そして、
大人になってから、
一緒にできることも増えた。
ゴルフへ行ったり、
旅行をしたり。
そして一緒に、
富士山にも登った。

成長した息子と富士山へ。今だから一緒にできることもある。
子育てに、
やり直しはできない。
あの運動会の日に戻ることもできない。
小学生の息子を、
もう一度抱きしめることもできない。
でも、
今からできることはある。
大人になった息子にも、
伝えられることはある。
あの頃、
よく頑張ってくれた。
本当にありがとう。
そして、
もう、
お姉ちゃんのためでも、
私たち親のためでもなく、
自分の人生を生きてほしい。
姉の隣で育った息子は、
もう、自分の道を歩いている。
その背中を、
これからは少し離れたところから見ていきたいと思う。
今を、生きる。

