娘は、胎盤剥離のため緊急手術で生まれた。
生まれてすぐ、妻が娘の顔を見ることもないまま、娘は救急車で別の病院のICUへ運ばれた。
妻自身も入院した。
母と娘は、別々の病院だった。
私は毎日、娘のいる病院へ行き、その足で妻の病院へ向かった。
妻はまだ体調が戻っていなかった。
それでも私が病室へ行くと、娘の話を聞くのを楽しみにしていた。
「今日どうだった?」
「元気にしてる?」
そんなことを聞かれた。
ある日、娘の主治医から言われた。
障害が残るかもしれない、と。
どう受け止めていいのか分からなかった。
妻には言えなかった。
「元気にしてるよ」
私は嘘をついた。
気を抜いたら泣いてしまいそうだったから、なるべく笑顔で話した。
でも、何日も続けることはできなかった。
もう本当のことを話そう。
そう決めて、妻に伝えた。
妻は静かに、
「そうなんだ……」
と呟いた。
泣き叫ぶことも、取り乱すこともなかった。
少なくとも、私の前では。
あのとき妻が何を思っていたのか。
本当のところは、今も分からない。
一緒に介護しているつもりだった
娘の障害が分かってから、生活は大きく変わった。
私も、娘の介護を優先してきたつもりだ。
転勤のたびに娘のことを考え、勤務地にも配慮してもらった。
オムツも替えた。
食事も食べさせた。
お風呂にも入れた。
30代の頃は土日にも仕事が入ることが多かったが、それでも自分なりにはやっていた。
当時の私は、
「俺もそれなりに頑張っている」
と思っていた気がする。
でも今になって振り返ると、
自分から気づいて動いていたというより、
妻に言われて動いていたことの方が多かった。
……反省である。
私も娘のことを考えていた。
でも妻は、
朝起きてから夜眠るまで、
いや、眠っている間でさえ、
娘のことから完全に離れることはなかったのだと思う。
「介護をする」のと、
「常に誰かの命を気にしながら暮らす」のは、
少し違う。
それを私は、当時どこまで分かっていただろう。
夜になっても、終わらなかった
娘には、原因の分からない発作のようなものがあった。
苦しそうに泣き叫び、
それが長く続くこともあった。
夜も眠れない。
そんな日々が何年も続いた。
妻にとって一番つらかったのは、
自分が眠れないことではなかったと思う。
目の前で苦しんでいる娘を見ていることだった。
どうしたら楽にしてあげられるのか。
どうしたら止められるのか。
原因さえ分からない。
朝になれば、また一日が始まる。
妻はずっと、
そんな毎日の中にいた。
家中の家電に、謎のシールが貼られた
そんな頃だった。
妻が突然、
「家電から出る電磁波が娘の脳によくないらしい」
と言い出した。
どこから聞いてきたのか、
電磁波を取るという、ちょっと怪しいシールまで手に入れてきた。
そして、
家中の家電に貼り始めた。
炊飯器にも。
冷蔵庫にも。
洗濯機にも。
家電という家電に、シール。
正直に言う。
かなりカッコ悪かった。笑
私は妻に気づかれないように、
何枚かそっと剥がした。
すると、
真剣に怒られた。
今なら笑って話せる。
でも、あの頃の妻はそれくらい必死だったのだと思う。
原因が分からない。
娘は苦しんでいる。
だったら、
少しでも可能性があるものは試してみたい。
そんな気持ちだったのだろう。
私は電磁波より、
妻の方が心配だった。
このままでは、家族が壊れる
今でも忘れられない夜がある。
いつものように仕事を終え、
車で家へ帰った。
家の車を見ると、
ドアが開けっぱなしになっていた。
室内灯もついている。
「バッテリー上がっちゃうじゃん……」
最初は、そんなことを思った。
ところが、
近づくと玄関も開いている。
部屋の窓も開いている。
何かがおかしい。
事件でもあったのか。
恐る恐る家の中へ入った。
そこにいたのは、
身も心も疲れ果て、
そのまま眠っている妻と娘だった。
私はその姿を見て、
初めて本気で思った。
このままでは、家族が壊れてしまう。
介護というのは、
大変なことが起きた日だけが大変なのではない。
何も起きていないように見える日にも、
少しずつ、
人の体力や気持ちを削っていく。
あの夜の妻の姿が、
それを教えてくれた気がする。
その隣で、息子も育っていた
妻には、
娘だけでなく息子もいた。
でも、娘は常に誰かの手を必要としていた。
どうしても娘が先になる。
息子との時間も、
妻自身の時間も、
後回しになることが多かった。
今になって思う。
もっと早く娘を誰かにお願いして、
妻と息子だけの時間を作ってあげればよかった。

息子の母親でもあった妻。もっと二人だけの時間をつくってあげたかった。
そして、
妻だけではなく、
いつの間にか息子も自然に娘を支えるようになっていた。
霧の中、
娘の大きなバギーを押している息子の写真がある。
誰かに言われたからではなく、
それが家族の日常だったのだと思う。

娘を支えることは、いつしか家族みんなの日常になっていた。
娘が家を離れて、時間ができた
娘が施設で暮らすようになった。
もちろん、
それですべてが終わったわけではない。
娘のことは今も気になる。
思うようにいかないこともある。
でも、
妻には少しずつ、
「自分のために使える時間」が戻ってきた。
仕事も始めた。
夜に出かけることもできるようになった。
そして、
私たちは二人で旅行へ行くようになった。
気づけば、
毎月のようにどこかへ出かけている。

息子も大人になった。グラスを持って一緒に乾杯したとき、ずいぶん時間が経ったんだなと思った。
息子がアルコールを飲める年齢になった。
一緒にグラスを持って乾杯する。
小さかった息子を思い出すと、
なんだか不思議な気持ちになる。
家族の形は、
少しずつ変わった。
でも、
家族であることは変わらない。
いつか行きたかったモルディブへ
いつか行ってみたいと思っていた場所があった。
モルディブだ。
昔の私たちなら、
「行きたいね」
と言って終わっていたかもしれない。
でも今は、
実際に行ける。
青い海を見ながら、
二人で何日も過ごした。
毎日のように海へ潜った。
妻は、とても楽しそうだった。
その姿を見ていると、
私は嬉しくなる。
娘と過ごした20年が失われた時間だったとは思わない。
あの時間も、
間違いなく私たちの人生だった。
でも、
妻が自分のことを後回しにしてきた時間が、
長かったことも事実だ。
だから今、
楽しそうにしている妻を見ると、
「もっとやれ、もっと遊べ」
くらいに思う。笑

いつか行きたいと思っていたモルディブへ。毎日のように二人で海に潜った。
娘が生まれた日から、
妻はずっと娘のそばにいた。
私も一緒に育ててきたつもりだった。
一緒に介護してきたつもりだった。
でも今振り返ると、
妻が背負っていた20年を、
私はどこまで分かっていたのだろうと思う。
分かっていなかったことの方が、
きっと多い。
もっと自分から動けばよかった。
もっと妻を休ませればよかった。
もっと早く、
妻の疲れに気づけばよかった。
後からなら、
いくらでも言える。
だから、
「ごめん」もある。
でも、
今一番伝えたい言葉は、
それではない。
娘をここまで育ててくれたこと。
息子を育ててくれたこと。
家族を守ってくれたこと。
そして、
今も一緒に笑ってくれていること。
全部ひっくるめて、
私は妻に伝えたい。
心から、ありがとう。
これからは、
娘のためだけでも、
息子のためだけでもない。
妻には、
もっと自分のために生きてほしい。
そして、
私もその隣で、
一緒に楽しんでいきたいと思う。
今を、生きる。

