娘が23歳のころだった。
妻から、
「施設のことを考えたい」
と言われた。
私は少し驚いた。
というより、
まだ早いんじゃないか。
そう思ったのだと思う。
娘はまだ23歳。
私の中で「施設」というものは、ずっと先の話だった。
いつかは考えなければならない。
頭では分かっていた。
でも、それは50歳とか、60歳とか、もっと先になってから考えるものだと、どこかで勝手に思っていた。
だから最初、妻の言葉をそれほど真剣には受け止めていなかった。
妻は、私よりずっと先を見ていた
半年くらい経ったころだったか。
一年くらい経ったころだったか。
妻が何度も、真剣に施設の話をするようになった。
そこでようやく、
「これは思いつきで言っているんじゃないんだ」
と気づいた。
妻には、いくつもの理由があった。
家から歩いて行けるところに、新しい施設ができること。
当時、日本初の日中支援型と説明を受けた施設で、ナースステーションもあり、将来も長く暮らしていけること。
生活の自由度が比較的高いこと。
そして何より、
この距離に、同じような施設がもう一度できるとは限らない。
それが大きかった。
以前、市の入所施設ができたときにも説明会には参加していた。
でも、そのときは、
「ここに娘を任せたい」
とは思えなかった。
私たちがこれまで娘と暮らしてきた感覚とは、少し違っていたからだ。
すべてを施設に任せる。
そういう暮らしを、私たちは望んでいなかった。
でも今回の施設は違った。
妻が言っていたのは、
「娘を預ける」というより、「生活する場所が変わる」ということだった。
その言葉なら、私にも少し理解できた。

娘がいることが、ずっとわが家の日常だった。家族で食卓を囲む、ごく普通の時間。
息子の人生も、考えなければならなかった
妻が施設を考えた理由には、もう一つあった。
息子のことだ。
娘が生まれてから、
どうしても娘が家族の中心になった。
命に関わることだから、仕方がなかった。
食事。
着替え。
入浴。
外出。
発作。
夜の様子。
どうしても娘が最優先になる。
息子は、それを当たり前のように受け入れて育った。
でも、
親がいなくなったあと、
娘のことを息子に背負わせていいのか。
妻は、そこまで考えていた。
息子の将来に、心配事を残したくない。
私は、このことについても、妻ほど深く考えていなかったと思う。
「親亡き後」になってからでは遅い
もう一つ、妻の考えで後からなるほどと思ったことがある。
親がいなくなってから、
突然、娘の生活を誰かに任せる。
それでは遅い、ということだった。
娘には娘なりの生活パターンがある。
何を嫌がるか。
どうすると落ち着くか。
食事はどうするか。
身体の動かし方。
寝るとき。
体調が悪いとき。
ほんの小さな変化。
長年一緒に暮らしてきた私たちには分かっても、
初めて接する人には分からないことがたくさんある。
だから、
親が元気なうちに生活の場を移し、
時間をかけて娘のことを知ってもらう。
そのための年月が必要だ。
妻は、そこまで考えていた。
今振り返ると、
私はずいぶん呑気だったと思う。
歩いて会いに行けるということ
最終的に一番大きかったのは、
やはり、
家から歩いて行ける距離だったこと。
これは想像以上に大きかった。
施設に入ったからといって、
娘との生活が切れるわけではない。
会いたければ、すぐに行ける。
何かあれば、すぐに駆けつけられる。
必要なら家にも連れて帰れる。
私たちにとっては、
「施設に娘を渡す」
のではなく、
娘の生活拠点が、少しだけ家の外へ移る。
それくらいの距離感だった。
それでも、家から娘がいなくなった
実際に娘の生活の場が施設へ移ると、
最初に感じたのは、
自由ではなかった。
ぽっかりと穴が空いたような感じだった。
長い間、
娘のいる生活が当たり前だった。
いつも娘の息遣いを感じている。
何かあればすぐに様子を見る。
出かけるにも時間を考える。
夜も気にする。
ずっと、
娘の命が自分たちにかかっているような緊張感の中で暮らしていた。
それが突然なくなった。
時間ができた。
でも、
何をしていいのか分からない。
そんな状態だった。
施設の説明会で、代表の方から妻はこんなことを言われていた。
「入所したあとこそ、その子のことばかり考えてしまいます。仕事を持った方がいいですよ」
妻も、
そうしなければいけないと思ったという。
娘のために使ってきた時間を、
突然、自分のために使えと言われても簡単ではない。
それくらい、
娘のいる生活が身体に染みついていた。
緊張がほどけてから、身体に不調が出た
不思議なこともあった。
娘の命が自分にかかっている。
そんな緊張感から解放されたあと、
妻には身体の不調が出るようになった。
介護している最中ではなく、
少し落ち着いてからだった。
張り詰めている間は、
身体も頑張っていたのかもしれない。
私はその話を聞いて、
20年以上という時間の重さを、改めて感じた。
家族の時間が、少しずつ変わっていった
そして、少しずつ、
家族の暮らしが変わっていった。
夜に出かけられるようになった。
旅行にも行けるようになった。
妻も、
自分のことを考える時間を持てるようになった。
仕事も始めた。
そして私たちは、
それまでどうしても後回しになっていた息子との時間も、意識するようになった。

生活の場が変わっても、娘は家族の一員であることに何も変わりはない。家に帰ってくれば、いつもの食卓になる。
娘が施設へ入ったから、
家族がバラバラになったわけではない。
むしろ、
それぞれの人生を少しずつ考えられるようになった。
娘には娘の生活。
息子には息子の生活。
妻には妻の生活。
そして、
私にも私の生活がある。
それは決して、
娘を大切にしなくなったということではなかった。

ずっと後回しになりがちだった息子との時間も、少しずつ取り戻していった。
人に任せるということは、簡単ではない
もちろん、
施設に入ればすべてが安心、
という話でもない。
親が自分で見ていた頃と、
誰かにお願いする生活は違う。
「自分ならこうするのに」
と思うこともある。
娘のことを一番理解しているのは自分たちだ、
と思ってしまうこともある。
人に任せるというのは、
思っていた以上に難しい。
全部が自分たちの思い通りにはならない。
それは今でもある。
でも、
私たちが永遠に娘を見ることはできない。
いつか必ず、
誰かに託さなければならない日が来る。
だったら、
私たちが元気なうちに、
一緒に見ながら、
伝えながら、
娘の生活をつくっていく。
今は、それでよかったと思っている。
家族の形は変わった。でも、家族は変わっていない
今、
娘はすぐそばで元気に暮らしている。
会いたければ会いに行ける。
週末には家に帰ってくる。
息子は、
立派な社会人になった。
私は仕事をしている。
妻も、正職員ではないけれど、
好きな仕事に就いている。
そして夫婦で、
以前はなかなかできなかった旅行にも行くようになった。

夜に出かけることも、夫婦で旅行することもできるようになった。それも、今のわが家の暮らしの一つになった。
娘が施設へ入ったことで、
何かを失ったのかと聞かれれば、
失ったものもあると思う。
毎日、
同じ家で娘の息を感じていた生活はなくなった。
寂しさもあった。
不安もあった。
今でも、
これでいいのかと思う瞬間がゼロになったわけではない。
でもその一方で、
娘の生活がある。
息子の生活がある。
妻の生活がある。
私の生活がある。
そして、
その四つは今もちゃんとつながっている。
妻が最初に施設の話をしたとき、
私はその意味を分かっていなかった。
妻は、
私よりずっと先を見ていた。
娘のことだけではない。
息子のこと。
自分たちがいなくなったあとのこと。
そして、
家族全員の人生のこと。
今なら、
もっとちゃんと話を聞いておけばよかったと思う。
もしあの頃の自分に何か言えるなら、
たぶん、
こう言う。
もっと妻の気持ちを聞いてあげて。
家族の形は変わった。
でも、
家族であることは何も変わっていない。
娘はすぐそばで暮らしている。
息子は自分の人生を歩いている。
妻は好きな仕事をしている。
私も、自分の仕事をしている。
そして、ときどき夫婦で旅に出る。
今の私たちは、
今の生活に幸せを感じている。
今を、生きる。

