玄関は、広くしたかった。
家を建てるとき、玄関はかなり広めにとった。
理由は、娘の車椅子だった。
車椅子は、まっすぐ進むだけならそれほど場所を取らない。
問題は、曲がるとき。
特に90度向きを変えるには、思っている以上のスペースがいる。
だから玄関の前にも、玄関の中にも、車椅子が余裕をもって方向転換できる広さを確保した。
玄関扉も、開き戸ではなく引き戸にした。
外から玄関へ。
玄関からリビングへ。
この動線には、段差をつくらなかった。
靴が一足あるだけで、邪魔になる。
もうひとつ考えたのが、靴だった。
普通の家なら、玄関に家族の靴が何足か出ていても、それほど気にならないと思う。
でも車椅子では、その一足が邪魔になることがある。
そこで、玄関の脇に収納スペースをつくった。
家族はそちらから入り、脱いだ靴もそこへ。
シューズボックスも収納も、その中にまとめた。
そして、その収納スペースからは、玄関に戻らなくても直接ダイニングへ入れるようにした。
結果として、表の玄関にはほとんど何も置かなくなった。
これは本当によかった。
車椅子が通りやすいというだけではない。
玄関に靴がない。物がない。
それだけで、家に入ったときの景色がずいぶん違う。
バリアフリーのために考えたことが、結果として家をすっきり見せることにもつながった。

玄関とリビングの間に、ドアをつくらなかった。
玄関からリビングへ入るところにも、ドアはつくらなかった。
娘の車椅子を押しながら、そのたびにドアを開ける必要をなくしたかったからだ。
ただ、少し心配もあった。
玄関とリビングを仕切らなければ、冷暖房の効率が悪くなるんじゃないか。
実際に暮らしてみるまで分からなかった。
でも、これは杞憂だった。
少なくともわが家では、ドアがないことで冷暖房が効きにくいと感じたことはほとんどない。
むしろ、毎日の動きやすさの方がずっと大きかった。
でも、玄関から家の中が丸見えになるのは嫌だった。
ドアをなくすと、もうひとつ問題がある。
玄関を開けたときに、リビングまで丸見えになってしまうことだ。
そこで、玄関から入った視線の先に階段がくるようにした。
完全に壁で隠すわけではない。
でも、家の奥まで一直線には見えない。
閉じていないのに、見えすぎない。
これは今でも気に入っている。

暮らしてみて、後悔もある。
もちろん、全部が正解だったわけではない。
ひとつは、家族用の収納スペース。
もっと広くしておけばよかった。
玄関自体をかなり広くとったので、設計上これ以上は難しかったのだけれど、暮らしていると収納はやっぱり多い方がいい。
そしてもうひとつ。
こちらは、私個人の後悔だ。
中庭まで、靴のまま行けるようにしたかった。
設計の段階から、私はひとつ希望を出していた。
玄関の土間を、中庭に面した大きな窓の前あたりまで伸ばして、そのまま靴で中庭へ出られるようにしたかった。
玄関から入って、靴を脱がず、そのまま中庭へ。
私は絶対に便利だと思っていた。
ただ、妻はあまり乗り気ではなかった。
結果、私の案は不採用(笑)。

暮らしてみると、やっぱり私は欲しかった。
ちょっと中庭に出たいだけなのに、一度靴を脱いで、また靴を履く。
ほんの小さなことなのだけれど、毎日のことになると意外と面倒だ。
設計図を見返すと、
「ここまで土足にしておけばよかったな」
と、今でも思う。
バリアフリーは、特別なものではなかった。
娘のために考えた玄関だった。
段差をなくす。
広くする。
引き戸にする。
車椅子が無理なく曲がれるようにする。
最初は、どれも娘のために必要なことだと思っていた。
でも、実際に暮らしてみると少し違った。
段差がない家は、誰にとっても歩きやすい。
広い玄関は、荷物が多い日にも使いやすい。
引き戸は、両手がふさがっているときにも便利だった。
そして、玄関に靴や物が出ていないだけで、家はずいぶんすっきり見える。
娘のために考えたことが、結果として、家族みんなの暮らしを楽にしてくれていた。
バリアフリーというと、どこか特別な家を想像するかもしれない。
でも、私たちがこの家で暮らして感じたのは、少し違う。
暮らしにくいものを、ひとつずつなくしていく。
それだけだったのかもしれない。
もちろん、住んでみて初めて気づいた後悔もある。
「ここはもっと広くすればよかった」
「やっぱり、あの案にしておけばよかった」
今でもそう思うところはある。
家づくりに、たぶん100点はない。
それでも、この玄関はかなり気に入っている。
娘のために考えた玄関が、いつの間にか、私たち家族にとって使いやすい玄関になっていた。
それで十分だったと思う。

