介護しやすい家をつくったら、家族が心地よく暮らせる家になった。

家を建てることを決めたとき、
いちばんに考えたのは娘のことだった。

車椅子で暮らす娘にとって、どうすれば生活しやすい家になるのか。

そして私たち夫婦にとっても、毎日の介護の負担を少しでも減らせる家にしたかった。

玄関から寝室までの動線。
車椅子で曲がれる広さ。
浴室のリフト。
コンセントの位置。

一つひとつ考えていくと、普通の家づくりとは少し違うところがたくさんあった。

でも、実際に暮らしてみて思った。

介護しやすい家をつくることと、心地よい家をつくることは、別のことではなかった。

むしろ同じだったのだと思う。

毎日のことだから、動線はできるだけシンプルに

家をつくるとき、かなりこだわったのが動線だった。

玄関から娘の寝室まで、できるだけまっすぐ行けるようにした。

毎日繰り返すことだから、これは本当によかったと思っている。

車椅子の場合、ほんの少しの段差や曲がり角でも、毎日のこととなれば負担になる。

だから、特別な設備以上に、

「どう動くか」

を想像して家をつくることが大切なのだと思う。

一方で、暮らしてみて気づいたこともある。

玄関前はかなり広くしたつもりだった。

それでも、駐車場のスロープを上がって、左へ90度。
そこからすぐ右へ90度。

車椅子を方向転換させるには、もう少し余裕があってもよかった。

図面を見ていると十分広く感じる。

でも実際に車椅子を押してみると違う。

これは家を建てて初めて分かったことのひとつだった。

玄関から寝室まで、できるだけまっすぐに。毎日の移動だからこそ、シンプルな動線にこだわった。

大きくなった娘を支えてくれたもの

娘が小さいころは、抱っこして移動することができた。

お風呂もそうだった。

でも、当然ながら子どもは大きくなる。

体重が増えてくると、抱きかかえての移動は少しずつ難しくなっていった。

そこで活躍したのが、天井走行リフトだった。

寝室や浴室など、必要な場所で娘を安全に移動できるようにした。

これは私たちだけのためではない。

ヘルパーさんに介助をお願いするときにも、とても重要だった。

介護する側が無理をしなければならない家では、長く続かない。

介護される人だけでなく、介護する人の身体を守る。

家をつくるうえで、これはとても大切な視点だったと思う。

娘が大きくなってから、特に助けられた天井走行リフト。介助する側の負担を減らすことも大切だった。

そして、使わないときには設備ができるだけ目立たないようにもした。

必要なものは、きちんと備える。

でも、家全体を「介護施設」のようにはしたくなかった。

それも、私たちなりのこだわりだった。

必要な設備も、使わないときはできるだけ暮らしの中から隠せるようにした。

コンセントは「人がいる場所」に多めに

ものすごく地味な話だけれど、これから家を建てる人にはぜひ伝えたい。

コンセントは多いほうがいい。

暮らしてみると、

「ここにもつけておけばよかったな」

と思うことが意外と多い。

特にソファまわり。

そして寝室のベッドサイド。

医療機器や介護用品だけではなく、スマートフォンや照明、家電など、生活していると電源はどんどん必要になる。

私が家を建てるなら、今度はこう考える。

人が長く座るところには、コンセントを多めに。

図面だけを見ていると気づきにくいけれど、暮らしてみると結構重要だ。

娘の居場所は、家族の真ん中に

ダイニングテーブルの横には、いつも娘の車椅子があった。

そこからは、キッチンに立つ妻の姿が見える。

テレビも見える。

私たちが何をしているのかも分かる。

娘にとって、きっと安心できる場所だったと思う。

「介護しやすい場所」に娘を置くのではなく、

家族が集まる場所に、娘の居場所をつくる。

今振り返ると、これはとても大切なことだった。

娘のためにつくった特別な場所というより、

そこが自然に娘の場所になっていた。

それがよかった。

中庭は、もうひとつのリビングになった

この家で好きだった場所のひとつが、中庭だ。

普段は私が車を停めていて、ガレージとして使っていた。

休日になると車を外へ出す。

すると、そこが家族の中庭になる。

リビングからそのまま車椅子で出られるようにしていたので、娘を連れて外へ出るのも難しくなかった。

体調などで散歩へ行けない日でも、外の空気を感じることができる。

空が見える。

風が通る。

日差しを感じる。

それだけでも、家の中にずっといるのとは違う。

リビングからそのまま出られる中庭。散歩へ行けない日にも、空や風を感じることができた。

中庭でバーベキューをしたこともある。

娘は車椅子のまま、私たちと同じ場所にいる。

特別なことではない。

ただ家族で食べて、話して、笑う。

そんな普通の時間が、今振り返るととても大切だったと思う。

中庭で過ごす家族の時間。娘も車椅子のまま、いつも同じ輪の中にいた。

「介護の家」に見せたくなかった

この家を建てるとき、妻と私にはもうひとつ考えていたことがあった。

介護に必要な設備は、もちろん入れる。

でも、

「介護のためにつくられた家」だけにはしたくなかった。

白い漆喰の壁。

黒いロートアイアンの手すり。

スケルトン階段。

白と黒を基調にしながら、ところどころに木の温かさを入れた。

介護用のアーム装置は、使わないときには収納できるようにした。

浴室の設備も、できるだけ白く、空間になじむものを選んだ。

機能は必要。

でも、暮らしの中で設備ばかりが目に入る家にはしたくなかった。

娘のための家であると同時に、

私たち家族が好きでいられる家にしたかった。

介護に必要な機能を備えながらも、私たち自身が「好き」と思える家にしたかった。

光が入るだけで、人の気持ちは変わる

前に住んでいた家は、少し暗かった。

隣家との関係もあって、晴れた日でも1階にはあまり陽が入らない。

昼間から照明をつけることもあった。

だから新しい家では、開放感を大切にした。

玄関からリビングへ入ると、大きな吹き抜けが広がる。

カーテンもほとんどない。

窓から空が見える。

中庭が見える。

2階まで見渡せる。

そして、家の中に光が入ってくる。

晴れた日には、吹き抜けからたっぷりと光が入る。この明るさに、私たち自身もずいぶん助けられた。

娘の表情も、以前より明るかったように思う。

でも変わったのは、娘だけではなかった。

私たちの気持ちも変わった。

これは、実際に暮らしてみて強く感じたことだった。

介護するのは、親だ。

もちろん娘のことは大切だ。

それでも介護が毎日続けば、疲れる日もある。

余裕がなくなる日だってある。

そんなとき、明るい部屋に光が差し込み、窓の外に空が見える。

それだけで、少し気持ちが違う。

親の気持ちが変われば、娘への接し方も変わる。

声のかけ方も、会話も変わる。

だから住環境というのは、想像していた以上に大切なのだと思う。

薪ストーブの炎を、家族で眺めた

そして、この家には薪ストーブを置いた。

これは介護にはまったく必要のないものだ。

効率だけを考えれば、なくても困らない。

それでも私は、つけてよかったと思っている。

冬になると薪を入れ、火をつける。

丸く暖かな炎が、ゆらゆらと揺れる。

パチッ。

パチパチッ。

薪の燃える音が部屋に響く。

娘も炎を眺めていた。

何を感じていたのかは分からない。

でも、その炎は娘だけではなく、

私たちの心も癒してくれた。

ゆらめく炎と、パチパチという薪の音。娘だけでなく、私たちの心も癒してくれた。

家には、便利さだけでは説明できないものがあっていい。

役に立つかどうかではなく、

そこにあることで、少し心が穏やかになるもの。

今なら、そう思う。

家が変わると、暮らしが変わる

家を建てる前は、

「どうすれば介護の負担を減らせるか」

ということをずっと考えていた。

だから、動線を考えた。

リフトをつけた。

段差をなくした。

車椅子で動ける広さを確保した。

でも完成して、実際に暮らしてみると、少し違うことに気づいた。

私たちがつくったのは、

介護しやすい家だけではなかった。

光が入り、

風が通り、

空が見え、

緑があり、

家族が同じ場所で過ごせる家だった。

そして、その環境に助けられていたのは娘だけではない。

私たち家族も、この家にずいぶん助けてもらった。

介護のために家を整えることは、

暮らしをあきらめることではない。

むしろ、

家族みんなが心地よく暮らすために、暮らしを整えることなのだと思う。

娘と暮らしたこの家で、そのことを教えてもらった。

完璧な家だったわけではない。

「ここはもう少し広くすればよかった」

「ここにもコンセントがあればよかった」

暮らしてみて初めて分かったことも、たくさんある。

それでも、この家で過ごした時間を思い返すと、

窓から入ってきた光や、
中庭を抜ける風や、
薪ストーブの炎が浮かんでくる。

そして、その真ん中にはいつも娘がいた。

家族にとって本当に大切なのは、
どんな家を建てるかではなく、

その家で、どんな時間を一緒に生きるか。

今は、そんなふうに思っている。

家づくりを進めていると、
「この間取りで本当に大丈夫かな」
「介護しやすさを優先しすぎて、家らしさを失っていないかな」
と迷うことがあります。

私自身も、娘との暮らしを考えながら、何度も同じように迷いました。

住宅会社とは少し違う立場で、実際に暮らしてきた経験から一緒に整理することはできます。

「介護のための家」ではなく、「この先何十年も、家族が自分たちらしく暮らせる家」を一緒に考えてみませんか

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この記事を書いた人

53歳、転勤族のサラリーマンです。
障害のある娘との暮らしをきっかけに、
43歳で家を建てました。

介護、子育て、仕事、家づくり。
いろいろあったけれど、振り返れば、
それも全部わが家の時間でした。

今は、妻との旅や車、住まいを楽しみながら、
これまでのこと、そしてこれからのことを
書いています。

いろいろあった。だからこそ、今を生きる。

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