もっと妻の気持ちを聞いてあげて。40歳の自分に言いたいこと。

昔から、人生を楽しんでこなかったわけではない。

仕事は忙しかったけれど、自分の時間も、それなりに大切にしてきたと思う。

ただ、当時の仕事は土日に予定が入ることも多かった。

まとまった休みを取って旅行へ行く、という生活はなかなか想像できなかった。

その代わりに、私がハマったのが車と時計だった。

なかでも車は、ずっと好きだった。

フォルクスワーゲン・ゴルフに始まり、アウディ、BMW、アルファロメオ、ポルシェ……。すべて中古車だが、程度のいい中古車探しをすることが楽しみだった。

振り返ると、ずいぶん乗り継いできた。

家庭では娘の介護があり、仕事も忙しい。

そんな毎日の中で、車は私にとって単なる趣味ではなく、自分の気持ちを保つための場所でもあったのかもしれない。

公私ともによく走ってくれたアルファロメオMITO。丸みのある、どこか可愛らしいフォルムが好きだった。

車は趣味だったけれど、家族にとっては必要なものでもあった。

娘の介護用にはセレナに乗り、その後エルグランドへ。

家を建ててからは、メルセデス・ベンツのGクラスを車椅子仕様に改造した。

趣味の車と、家族のための車。

その両方が、私たちの生活の中にあった。

そして今乗っているのは、フェラーリ・カリフォルニアT。

オープンにもなるし、意外にもゴルフバッグが2つ積める。

今でも車が好きなのは変わらない。

今の相棒、フェラーリ・カリフォルニアT。オープンにもなり、ゴルフバッグも2つ積める。今も車は私の楽しみのひとつだ。

50代になって、考えるようになったこと

そんな私も50代になった。

そして、娘が施設へ入った。

それが、自分たちのこれからを考える大きなきっかけになった。

不思議なことに、そのとき強く考えるようになったのは、自分の老後ではなかった。

妻の人生だった。

妻は長女が生まれてから、ずっと娘に寄り添ってきた。

仕事を辞め、毎日の生活の中心に娘がいた。

食事。

着替え。

入浴。

病院。

夜のこと。

言葉にすると簡単だけれど、それが毎日、25年以上続いた。

私も父親として介護をしてきたつもりだった。

でも、妻が背負ってきたものとは、やはり違ったと思う。

だから、妻の口から、

「施設を考えよう」

という言葉が出たとき、私は驚いた。

むしろ私の方が、娘を家から出すことに戸惑っていたのかもしれない。

でも妻は、もっと先を見ていた。

私たちは歳を取る。

順番でいえば、娘より先にいなくなる。

そのとき、この子はどうするのか。

私は、そのことを妻ほど真剣には考えていなかった。

高齢者の施設はいくつもある。

でも、若い障害者がこれから長く暮らしていける場所は、簡単には見つからなかった。

そんなとき、家の近くに施設ができると聞いた。

妻と何度も話した。

そして娘は、そこで暮らし始めた。

妻に、時間ができた

娘が施設へ入ってから、妻の生活は大きく変わった。

仕事をするようになった。

自分の時間を持つようになった。

そして、よく笑うようになった気がする。

25年間を取り戻す、という表現が正しいのかは分からない。

娘と過ごした25年間を、妻が後悔しているわけでは決してないからだ。

それでも私には、

これまでできなかったことを、ひとつずつ楽しんでいる

ように見える。

そしてありがたいことに、妻は私との旅行を楽しみにしてくれている。

今では、ほぼ毎月どこかへ出かける。

旅先では、今までやったことのないことにも二人で挑戦するようになった。

以前の私なら、

「仕事が忙しいから」

「また今度でいい」

と言っていたかもしれない。

でも今は少し違う。

韓国へ行った。

マレーシアへ行った。

ベトナムへ行った。

モルディブへも行った。

美味しいものを食べる。

初めて見る景色を見る。

やったことのないことをやってみる。

50代になって急に遊び始めた、ということではない。

昔から私は、それなりに人生を楽しんできた。

ただ、今はその意味が少し違う。

「いつか行こう」ではなく、「行けるうちに行こう」と思うようになった。

この先の時間は、永遠ではない。

そのことが、ようやく分かってきたからだ。

ベトナム・ホイアンの夜。二人で同じ景色を見る。そんな時間が、以前よりずっと大切になった。

妻との人生を考えるようになった

娘が生まれてからの25年間。

妻の人生には、娘の介護がいつもあった。

では、これからの25年はどうするのか。

そう考えるようになった。

もちろん、何年あるのかなんて誰にも分からない。

だからこそ、

「老後になったら」

ではなく、

今、一緒にできることをやっておきたい。

私はそう思っている。

元気なうちに旅をする。

歩けるうちに街を歩く。

食べられるうちに美味しいものを食べる。

そして、できるだけ一緒に笑う。

大げさなことではない。

でも、そんな時間をあとから取り戻すことはできない。

両親との時間も、同じだった

妻との時間が有限だと気づいてから、もうひとつ考えるようになった。

両親のことだ。

親は、いつまでも親なので、つい錯覚してしまう。

自分が50代になれば、当然、親も歳を取っている。

会おうと思えば、いつでも会える。

旅行へ連れて行こうと思えば、いつでも行ける。

そんな気がしてしまう。

でも、それも永遠ではない。

以前、親孝行のつもりで、両親を伊勢へ連れて行った。

一緒に食事をして、歩いて、伊勢神宮へお参りした。

特別なことをしたわけではない。

それでも、こういう時間をこれからもっと増やしたいと思う。

旅行だけではなく、実家へ帰る回数も増やしたい。

「そのうち」ではなく、できるうちに。

親孝行のつもりで、両親と伊勢へ。これからは一緒に過ごせる時間を、もっと大切にしたい。

仕事も、「上へ」から「残す」へ

仕事に対する考え方も、少し変わった。

若いころは、仕事を頑張らなければ、自分の希望する仕事や転勤先も選べないと思っていた。

それほど強い出世欲があったわけではない。

それでも、ありがたいことに役職も上がった。

でも、この先さらに何を目指すのかと聞かれると、以前とは答えが違う。

今は、後輩を育てたい。

自分が経験してきたことを、次の世代へ渡したい。

そして仕事を通じて、地域に何かを残したい。

企業同士や地域が一緒になって新しいものをつくる。

そんな共創の仕事を、形にしたいと思っている。

自分がどこまで上へ行けるかより、

自分がいなくなったあとに、何を残せるか。

50代になって、仕事を見る方向も少し変わったのだと思う。

40歳の自分に言いたいこと

もし今、40歳の自分に会えるとしたら。

何を言うだろう。

もっと遊べ。

もっと旅行へ行け。

仕事ばかりするな。

そんな言葉も浮かぶ。

でも、一つだけしか言えないとしたら、私はこれを選ぶ。

「もっと妻の気持ちを聞いてあげて。」

娘のこと。

家族のこと。

これからのこと。

妻は、私が思っていた以上にいろいろなことを考えていた。

一番近くにいたのに、私はちゃんと聞けていただろうか。

今となっては分からない。

だから、これからは聞こうと思う。

どこへ行きたいのか。

何をしたいのか。

何を食べたいのか。

そして、これからどんな人生を送りたいのか。

まだ時間はある。

でも、無限ではない。

だから私たちは、

いつかではなく、今を楽しむ。

それでいいのだと思う。

今を、生きる。

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この記事を書いた人

53歳、転勤族のサラリーマンです。
障害のある娘との暮らしをきっかけに、
43歳で家を建てました。

介護、子育て、仕事、家づくり。
いろいろあったけれど、振り返れば、
それも全部わが家の時間でした。

今は、妻との旅や車、住まいを楽しみながら、
これまでのこと、そしてこれからのことを
書いています。

いろいろあった。だからこそ、今を生きる。

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